年賀状って手紙のくせに中途半端な存在よな。そら消えるて
20代の僕は、年賀状なんて物は一切書きません。
普通にLineで「あけおめ」です。
ていうか、そもそも「あけおめ」という言葉自体、友人間でも余り交わさないんですよね。無駄に年食うだけだし。
最近ふと思ったんですが、年賀状って中途半端な存在に成り下がりましたよね。そら売れんて。
僕が年賀状が中途半端だと思う理由を紹介します。
そもそも手紙のくせに、印刷物やん
年賀状って元は"手紙"でしょ。
直筆で文字書いて、「元気? 私は元気やで。今年もよろしく、また会おうや」的な意味合いで送り合うものだったはず。
履歴書じゃないんだし、友人が直筆で書いてくれたら"味"があるので僕も好きだったりします。
だけどね、最近の年賀状って表面も裏面も100%印刷やったりするやん。
郵便番号や住所はもちろん、裏面の家族写真から「あけおめ」の文も漏れなく印刷。
手紙特有の"味"が殺されてるんですよね。
節子、それ手紙やない。ただのお知らせや。みたいな。
元々ただの社交辞令(形式)
年賀状って、ただの社交辞令ですよね。娯楽的要素が皆無。
ただの両面印刷物になり下がっている年賀状なんかが、Lineやメールに勝てるわけないんですよ。秒速で届くし無料だし。
要するに、ただただ面倒臭いだけなんです。
ただの社交辞令且つ手書きじゃない時点で、もうLine・メールで良くねってなるやん。
手書きという手間を惜しむのは形式ばってて面倒だからです、おまけに印刷という楽な方法が確立されてしまった時点で、それより遥かに楽チンで低コスト手段があれば、そりゃそちらへ移行しますよね。
娯楽や趣味って面倒だけど、それが楽しくもあり"味"になってるんですよ。
だってさ、友達と遊ぶって言ったら今でも会って遊ぶでしょ。
飯食いに行くにしろ、旅行するにしろ、これらはオンラインじゃ完結しないんですよ。ゲームならオンラインで遊べるけど、なんだかんだで隣で一緒にゲームした方が楽しいやん。
いくらNetflixなどのVODやYoutubeなどの娯楽が充実しようとも、娯楽はなんだかんだアナログが強いんですよ、楽しいし。
娯楽特有の"味"をオンラインでは完全に出せない。釣りのゲームがでた所で楽しさは本物の釣りには勝てないんです。だから娯楽はアナログが未だに強い。
しかし、年賀状は社交辞令(形式)的なもので、無駄を楽しむ娯楽的要素が全くないからこそ、Lineやメールに負けたと思うんですよね。
まとめ
・手紙のくせに、印刷だから中途半端。
ならLineでいいやんってことになる。
・そもそも形式的な存在で、娯楽要素ナシなので楽な手段に代わられるか、面倒だから出さないということになる。